世の中の誤謬 Part.2
前回の続き
さて、大長編になってしまったので、
何回かに分けて徐々に更新します。
ぜひお時間のある時に、
読んでみてくださいね。
例え話
あなたは家族や気心の知れた
親しい相手に、
右か左かどちらに進めばいいか?
と、相談を持ちかけたとします。
すると、その人は答えました。
「右の道を行けば大丈夫です。」
さらに、あなたはこう言いました。
「実はもう過去にいろんな過ちを
犯してしまったのです。
トラウマになっていることもあって。。
それでも右の道を進み続けても
大丈夫ですか?」
すると、あなたが信頼している人は
こう言いました。
「大丈夫です。
私を信じてください。」
あなたは、もしそう言われたら、
自分でよくよく考えもせず、
「なぜ大丈夫なのか?」
「そう確信している根拠は何なのか?」
などの理由も聴かず、
言われるがまま、なすがままに、
安易に道を選択する人ですか?
例え話2
あなたが信頼している相手を、
「今までは正しいと思っていたけど、
この場合どう考えても、
右に行ってはダメだと思う。
それは明らかに間違っている。」
と心では思っていても、
世話になったから・・・
親しいから・・・
良い人だから・・・
などと考えてしまい、
あなたは結局、
その意見に従ってしまいますか?
グループを追い出されたらどうしよう。
自分の意見を咎められたらどうしよう。
過去のトラウマが蘇って、
また同じ思いをすることになったらどうしよう。
悪事がバレたらどうしよう。。
でもこれ以上、嫌な思いはしたくない。
だからその間違いは指摘せずに、
みんなと同じ意見を持っているフリをしていよう。
あなたはそんなことを考えたりしませんか?
そして、最後には
「自分はそんなつもりなかったから」
などと自分自身に言い訳をして、
誰かに責任をなすりつけ、
バレなきゃいいやとコソコソ逃げようとする人ですか?
それとも逆に、自分も加担していたのだから
少しでも責任があると肚を括り、
これまでの過ちを正し、
それぞれの責務を果たしながら、
共に乗り越えようと寄り添う人ですか?
疑心暗鬼
複雑に考えるから
何事もうまく運ばなくなるのです。
最初から疑って掛かるから、
余計他者に違和感・不信感を抱かせる。
シンプルに考えればいいのです。
良いことなのか悪いことなのか。
悪いことはやってはいけない。
「でも・だって」は通用しません。
天は見ています。
ただ良いことをすればよいのです。
愛の電池
人は愛の電池が無くなると、
必ず誤作動を起こします。
「愛を感じられない。愛が欲しい。
他者が羨ましい。かまってほしい。
ちやほやされたい。褒められたい。
尊敬されたい。感謝されたい。」
心がそう訴えるのです。
ではどうすればいいか?
それは他者ではなく、
まず家族から真のコミュニケーションを
取るようにしていきましょう。
決して「Yes」「No」で完結してしまう
「号令」や「命令」で終わらせないように質問などを工夫しましょう。
そうでないと、相手はいつまでもモヤモヤした気持ちを引きずり、
あなたに不信感を抱き続けるかもしれません。
やはり「直接的コミュニケーション」が一番ですね。
もし出来ることなら、なるべく波風を立たせたくないなどの動機ならば、
はじめのうちは「間接的コミュニケーション」でもいいかもしれません。
但し、それは細心の注意を払って慎重に実践すべきですし、
匿名など卑怯な手段ではなく、
所在などをハッキリさせて丁寧に伝えることを心がけることが重要。
けれども、それで伝わらなければ、
上記したように、「直接的コミュニケーション」の実践です。
よくあるのが、直接と言っておきながら、
顔も見ずに伝えている輩です。
玄関越しやベランダ越し、壁越し、天井越しに、
罵詈雑言を叫んでみたり、むやみやたらと叩いてみたり、
風評被害を煽ってみたり。。
それって、「間接的コミュニケーション」よりもタチが悪いですよね?
この迷惑行為がエスカレートすれば、もう立派な犯罪です。
そうなってしまうことが、愛の電池が切れている証拠かもしれません。
結局、間接的または直接的なコミュニケーションの両方に言えることは
インスタントに相手と繋がろうとせず、
理性的かつ心を込めて伝え合えるかどうかだと感じます。
私も皆さんと同様、戒めながらの実践です。
そして、他者とコミュニケーションを取ることが、
愛の電池を満タンにするために極めて重要な実践の一つと考えます。
正負の法則
継続は力なり。
努力というマイナス(負荷)を掛けるから
プラスの結果が起こり得る。
正があれば負があり、
負があれば正がある。
差別
性別などは、それぞれに役割があるもの。
それを罵ったり蔑視するから
他者とバトルになる。
性別は宿命であり、各々の学びなのだから
イチイチそれを言っては、
いつまでも前に進めない。
「差別」は幸せへの道を閉ざします。
何も言わずにじっと我慢して、
見守る姿勢もまた愛。
無責任にただ傍観しているのではなく、
心寄り添う意味での「見守る」です。
1%の愛がわからない人は、
100%の愛は絶対にわからない。
コミュニケーションについては、
前回の「直接と間接」の違いを
見直してください。
感情ではなく理性
何事も行き詰まると、
力まかせにやろうとするから、
上手くいかないのです。
人の話しを聴く心の姿勢や態度などが、
家族であっても脅威だからこそ、
あなたに本心を、
打ち明けられないでいるのです。
「ごまかし」や「まやかし」、
「怒らせると面倒くさい」
「でも一人ぼっちは嫌だ」などです。
あなたはそれらを敏感に感じているからこそ、
再びこっそり行動されるのではと疑心暗鬼になり、
ついには監視するしか手段がなくなる。
そんなことをしているうちに、
今度は別の課題が来るでしょうから、
強引にどうにかしたいという欲求に駆られる。
そしてその動機がいつも不純。
ただ「悔しいから」「口惜しいから」
「ムカつくから」など。
強引=小我。
小我には小我しか返りません。
(因果の法則)
上記を読んで、このケースの場合、
既に充分、因果が返ってきていることに
皆さん気づきましたか?
いつまでも隠しておきたい
疚しいことや悪しきこと、
トラウマなどもあるかもしれませんが、
前回も書いたように、
相手を変えようとするのではなく、
まず自分が変わることが必要です。
そうでないと、また同じようなことを
繰り返す羽目になってしまいます。
これってどう思いますか?
いつまでも、
人のことばかりを貶めようとする輩。
すでに因果が還ってきているとも知らずに、
その日暮らしに満足する者。
寄らば大樹の陰。
いつまでも自律と自立が出来ない幼き者。
自分の罪やルール違反、
マナー違反を棚に上げ、
人を責めることで
自身を守ろうとする愚か者。
そしてそれに加担する小我の者。
もしも、以上のどれか一つでも
心当たりがある人に質問です。
「もしもあなたや、
あなたの大切な人が突然死んだら、
今までに撒いた悪しき種は、
いったい誰が刈ると思いますか?」。
連帯責任。
あなただけの人生ではないのです。
あなたはあなたのことを想って、
傍にいてくれる大切な家族や仲間をも、
既に巻き込んでしまっているのです。
この責任はとてもとても
大きな問題となるに違いありません。
皆さんはこんな問題を抱えている人間は、
今こそ軌道修正が必要だと思いませんか?
誤謬
そして寿命は皆それぞれ違います。
さらに「死に逃げ」は出来ません。
人は死して死にませんから。
(スピリットの法則)
死んだらリセットされることなども
断じてありません。
因果はずっと背負ったまま。
今の個性もあの世へ還ってもなお、そのまま残ります。
(ステージの法則)
以前、美輪さんがTV番組で仰っていました。
『馬鹿は死ななきゃ治らない』ではなくて、
『馬鹿は死んでも治らない』が正解よと。(笑)
あの世は公明正大な世界。
上の階層へ行けば
「嘘をつく」という概念がなくなる。
全てがテレパシーで通じる世界。
あなたが今まで行なってきたことを
今一度振り返りつつ、
ぜひ想像してみてください。
個人や家族の因果、
地域・学校・職場などの因果。
そして日本や世界の因果。
個人の因果が「炎上」することで、
やがて家族や地域、学校、職場などの因果となる。
因果は地続きです。
(因果の法則)(波長の法則)(類魂の法則)
今一度書きますが、
小我には小我しか返りません。
皆さまに気づきが得られるよう、
不幸の数ではなく幸せの数を数えて
生き抜くことができるよう、
心よりお祈りしています。
Part.3へ続く
今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
次週、Part.3へと続きます。
次回まで、必ずお元気で。
管理人
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