経験と感動(喜怒哀楽)
信念
大切なことは、大勢味方がいようが少なかろうが
自分で信じたことに対して
信念を貫けるかだと思います。
これらが正しいのか間違っているのかは、
自分自身の「経験と感動」でしか判断できません。
責任主体。結局最後は自分で取捨選択して
生きていかなければならないのです。
孤高
人間はみな、一人で生まれ、
一人で生きて、そして一人で死んでいきます。
だから孤独死は悪ではありません。
「孤独や孤独死は可哀想」との見方は
やはり語弊があると思います。
一人暮らしの人が益々増えている現代社会。
これからさらに一人で死んでいく人が増えるでしょう。
社会保障も受けられず、衣食住医療もままならず、
このままでは不安な老後を過ごす人々が
後を絶たない状況になる可能性が益々高まっています。
だからこそ今からエンディングノートに書いておけばいい。
信頼できる身内や知り合いなどにそれを渡しておいてもいい。
自分の死後の後始末をするお金をノートに添えておけばいい。
きちんと準備しておけば、
孤独死を恐れることはありません。
それよりも、今を込めて生きることが大切です。
経験と感動を比較する?
自分はなんて浅はかだったんだ。。
などと自身の経験と感動が足りなかったことに気がつくと
多くの人は自己憐憫に陥ります。
想像力や思いやりを持って、
「何も出来ないかもしれないけれど、
自分に出来ることが何かあるかもしれない」とは考えず、
自己正当化して言い訳したり見て見ぬふりばかり。。
そして自己防衛、被害妄想へと続き、
「私ってなんて可哀想なの?」
「こんな私をわかって!」となる。
自己憐憫は本当に困ったものです。
私も充分気をつけます。
「自分がこんな状況だということをわかってほしい。」
「私ってあなたよりも全然可哀想なの。だからわかって!」
仕事においても自己憐憫な人間が絶えません。
「誰よりも私のほうがよっぽど大変なの!」
自己憐憫ってやつは。。
自己憐憫に陥るということは、
そこに依存心があるから。
当然自身の波長がドンドン下がり、
それなりの引き寄せを招き、
そのステージで様々な経験と感動を積んで、
因果を刈り取らなければならないということ。
それは自身の夢や希望からドンドン遠ざかっていく
ということを示しています。
「もう夢も希望も無くなっちまった…。
がくっ _| ̄|○」 ← 誰かに見て欲しいと願う自己憐憫の図
「そんなことないよー!」と誰かに言ってもらいたいの巻。
でもそれは、自分で撒いた種による結果。
因・縁・果。因果の法則です。
原因があり、ご縁(波長)で結ばれ、結果が返る。
知ってか知らずか自分で種を撒いているのだから
責任主体で歩まなければならないのです。
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私は素晴らしく尊い仕事をしたいと
心から思っている。
でも私がやらなければならないのは、
ちっぽけな仕事をも
素晴らしくて尊い仕事と同じように
立派にやり遂げることなのだ。
ヘレン・ケラー
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自己憐憫に陥っている場合じゃない。。
気をつけよう。。
経験と感動
いつもいつも、
死んであの世に持って帰れるものは
「経験と感動」だけしかないと話しています。
棺ごと死者の遺体を燃やす前に、
生前大切にしていた遺品などを入れてあげても
残念ながらあの世へ持って帰ることは出来ません。
だからと言って、
「持って帰ることが出来ないから、入れてもしょうがないよ」
などとKYなことを葬儀の場などで言うことは
ご遺族の気持ちを汲み取っていない証。
実はここからが経験と感動が豊かかどうかだと考えます。
想像力や共感力などが大切になってくると。。
そして寄り添う心も。
この場合、遺品などをあの世に持って帰ることが出来ないことくらい、
ご遺族などは充分に理解しているケースが多い。
それでも、棺に入れてあげたいと思うご遺族の心を
あなたは汲み取ることが出来ますか?
大切な人を亡くした経験とその感動が乏しいと、
親身になって相手に接することは出来ません。
経験していないから、わからないのが当然です。
では経験と感動が乏しいと感じたあなたは
わからないからと劣等感を抱いたり、
イジケたり開き直ったりしますか?
_| ̄|○ ← こんな感じや
ヽ(`▽´)/ ← こんな感じ
もしそうならば、それは大きな間違いです。
「誰か早く死んで私に経験と感動を積ませて!」
などと暗に促していることになってたりして。。(恐)((((;゚Д゚))))
それはもはや正気の沙汰ではありません。
知識よりも経験と感動(喜怒哀楽)
どんなに知識が豊富でも、
「宝の持ち腐れ」だと感じる人はたくさん存在します。
それを実践することで、自身の貴重な経験と感動になる。
だから実践スピリチュアリズムだと言っています。
指を咥えて、ただ傍観していたのでは、
いつまで経っても全然心が成長しない、
幼いたましいのままとなってしまうでしょう。
勿体無い。。ガクッ_| ̄|○
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
次回まで必ずお元気で。
管理人
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